2022年7月をもってムシテックワールド館長を退任しました養老孟司先生からのメッセージです
自然に触れると、元気になります。ヒトの身体はもともと自然の中から生まれてきたもので、自然の中にいて自然に触れて元気になるのは当然です。
その自然を代表するのが虫たちです。子どもたちが虫に関心を持つと、ひとりでに自然の中に入っていきます。それで元気に育つ。
虫を含めた自然から、ひとりでに学ぶことは、学校で教わることとは違います。学校で学ぶのは「言葉の世界」ですが、自然の中で学ぶのは「言葉になる以前」の世界です。今では言葉ではなく、情報といいますが、「情報になる」つまり「情報化」される以前の世界を全身で受け止めることがいかに大切かは、年をとるとわかってきます。情報化される前の世界を感じることで、ほっとしたり、安心したりします。それがもともとの自分が生まれた世界だからです。
アリの働くのを見ていると、すぐに時間がたってしまいます。セミやトンボやガ、イモムシ、ケムシなど、周りを見ていると、世界は生き物に満ちています。それを「科学」にするのは、言葉の世界に入ることです。もちろん、「日常の言葉の世界」と「科学という言葉の世界」は違います。大人になるということは、「言葉の世界」で生きることを覚えることなのです。私はあまり早くから「言葉の世界」に入ることをお勧めしません。どうせその世界で生きなければならないんですから、それ以前に十分な準備が必要じゃないですか。
何が準備になるのでしょうか。言葉にしない状況で、自然に直面することです。自然はけして「いいもの」ばかりではありません。地震も津波も噴火も台風も「自然」です。うっかりハチを素手で握ったら、刺されます。世界は人間にとって、良いもの悪いもの、両方を含んでいるのです。でもそれが私たちを生み出した世界なんです。それを肌で知れば、根本的に間違ったことはしなくなるでしょう。
「科学」の世界は、「言葉の世界」の中にあります。でも普段使っている言葉ではない言葉を使って、別な世界を作ります。普段使っている言葉、つまり日常言語の世界と科学の世界は違うんです。カブトムシは日常言語でも、科学上の和名でもカブトムシですが、同じカブトムシといっても、分類学上ではコウチュウ目コガネムシ科カブトムシ亜科カブトムシ属のカブトムシという種になります。そんな面倒くさいのが科学なのかと思うかもしれません。だから科学を学ぶというのは、日常言語の世界から、科学という少し別な世界に引っ越すことなんです。
別にそんな世界に行きたくないと思ってもいいんです。世界は一つだけではありません。やがていろいろな世界があるんだと気が付くことでしょう。どの世界にも行くことができるし、そのうち自分に合った世界、自分の好きな世界を見つけることができます。ムシテックに来て、皆さんが自分の世界を見つける助けになれば、嬉しいんですが。